持久走の大会に出た。
小学生の子供たちの、校内持久走大会に向けての練習に付き合っていたら、私も少し走りたくなったのだ。
5キロの部。短い距離だから、マラソンとはいわない。
思うに、持久走は惨めだ。
現役で運動していた時のように、早く走れない自分。
ちょっと練習しただけで、アキレス腱を痛めてしまう自分。
カッコいい父親でいたいのに、子供たちの前で引き攣った顔で走らなければならない自分。
持久走でも、かつてのサッカーでも、今の仕事や生活全般においても、一流にも、三流にもなれない自分。
走っている間、ずっと惨めな気持ちでそんなことを考えていた。
ゴールしたら、気持ち良いかと思ったけれど
とにかく足が痛くて、もっと惨めな気持ちになった。
ただ、持久走は不思議だ。
何故かまた少し走りたくなる。
人生がプッっと切ることができないように
かっこ悪くても、二流でも、四流でも、走り続けていかなければならない
そんな人間の哀愁を、少し好きな部分があるからだろう。
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