このところ、数年に一度大きな決断を迫られる。
生きるか死ぬか、とか夜逃げしなきゃならない程ではないのだから
たいした大きさではないのだろうけど
自分の中では、数カ月に渡って苦しんだり、悩んだりしている。
1つの事を選べば、逆に他の1つを捨てなければならず
決めたつもりだったのに
ひょんな切っ掛けで、決めたことすらおぼつかなくなる。
つまる所、自分自身を分かっていないということなのだろう。
少し前、自分にとって悔しい出来事があり、その時色々考えた。
考えているうちに、ふと父を思い出し
若しかしたら父も会社員時代に悔しい思いに耐えながら
私達を育ててくれたのかな、と何故か思った。
父とはここ数年、冠婚葬祭以外で会うことは無く
会っても必要以上に話すこともなかった。
少し前に突然に、父方の祖母が徳島で育てた白菜と、大根と、
父が購入したと思われるキムチ鍋スープの素と、群馬県産の糸こんにゃく、椎茸が送られてきて
中に手紙も何も入っておらず、どうしようかと思ったけれど
久しぶりに父に電話して、孫の声を聞かせてやろうと思った。
子供に電話を代わった途端、孫の声を聞かず、一方的にひたすら話し続ける父の様子に
バカだな、と思ったら
何故だか涙が込み上げてきて、もう少し父を知りたく思った。
優柔不断で、自分の気持ちに揺れながら、
少し先延ばしにしてきた決断を
もうすぐしなければならないけれど
決めたことに不安や、もしかしたら後悔を抱きながらも
時間をかけながらでも、対応していくことができる自分を
父を見てきた経験から、想像することができる。
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