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ある学生さんが学校を辞めた。
理由は色々あろうかと思うけど、一番大きな事は私の試験に受からなかったからだろう。
私の試験はやや難しい。
それは私の試験に受かるなら、担当科目に関しては必ず国家試験の合格水準を上回ることを学生に約束するレベルに設定しているからだ。
ある人は私を「壁」という。試験の「壁」は則ち資格の壁でもある。
鍼灸に興味を持って、ご縁あって入学された学生さんを、私は阻んでしまった。
この苦しさから逃げたくて、他の先生は「壁」にならない部分もあろう。
間違いではなかった、と信じたい自分と、もう「壁」はやめにして、「優しい」先生になろうかという自分がいる。
正しいかどうか分からないけれど、学生さんとの関わり方を変えてみようと思っている。
それが私にできる、せめてもの懺悔と思うから。
ある学生さんが学校を辞めた。
理由は色々あろうかと思うけど、一番大きな事は私の試験に受からなかったからだろう。
私の試験はやや難しい。
それは私の試験に受かるなら、担当科目に関しては必ず国家試験の合格水準を上回ることを学生に約束するレベルに設定しているからだ。
ある人は私を「壁」という。試験の「壁」は則ち資格の壁でもある。
鍼灸に興味を持って、ご縁あって入学された学生さんを、私は阻んでしまった。
この苦しさから逃げたくて、他の先生は「壁」にならない部分もあろう。
間違いではなかった、と信じたい自分と、もう「壁」はやめにして、「優しい」先生になろうかという自分がいる。
正しいかどうか分からないけれど、学生さんとの関わり方を変えてみようと思っている。
それが私にできる、せめてもの懺悔と思うから。
私はもしかして病気かも、と思うことがある。
それは過去の自分を、自分としてではなく、とても近しい、けれども第三者の目でしか見れないこと。
専門学校の講義の資料。過去のものは他人が作ったもののように感じて、新たに作り直したり。
書いた論文。とても変な言い方だが、過去現在に考えたことと、今現在に考えていることは別人のようだったり・・・。
完全に忘れている訳ではない。が、何かが違う。強いて言えば「鮮度」のような。
過去の私は、私じゃない・・・としたら怖くもあるけど。
いつでも私は新しい私になれる。
こう考えるのは、病気でしょうか。
でもこの病気を、私は決して嫌いではない。
院主:北上貴史
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